6・23狭山要請行動報告

写真①東京高裁前に掲げられた大横断幕と座り込み

 

 

写真②大横断幕に注目する市民

写真③東京高裁前座り込み

狭山大攻勢で停滞・逆流を突き破れ

 623日、東京高裁前に巨大な横断幕があがった。全国から集まった人々は、路上に座り込んだ。道行く人々は、ことごとく巨大幕を眺め、座り込みに注目した。

 東京高裁大野勝則裁判長のいる第4刑事部からも、植え込みを超えて、その光景がはっきり見えたはず。午前には東京高検、午後には東京高裁に対して、全国各地から火の出るような要請文が叩きつけられた。

  ここに、狭山大攻勢の開始が、雷鳴の如く宣言された。

写真④狭山大運動(略称)共同代表・長谷川直彦弁護士

写真⑤「袴田事件」弁護団・村﨑修弁護士

 

写真⑥東京前杉並区議・結柴誠一さん

写真⑦部落解放同盟全国連委員長・村上久義さん

写真⑧奈良・北浦裕樹久さん

写真⑨大横断幕を見て署名する市民

 12時からの東京高裁前街宣で、最初にマイクを握った狭山大運動(略称)共同代表・長谷川直彦弁護士は、裁判所を激しく糾弾しつつ、事実調べを訴えた。駆けつけた「袴田事件」弁護団・村﨑修弁護士は、「狭山事件の構造は、袴田事件と一緒。警察の証拠ねつ造によって有罪とされてきた。袴田再審は、運動体・弁護団・支援の三者が一体となって闘いぬき、実現した勝利だ。狭山は差別裁判。何としても今年中に再審をかちとりましょう」と呼びかけた。さらに、東京の前杉並区議・結柴誠一さん、部落解放同盟全国連委員長・村上久義さん、奈良の北浦裕樹久さんから、東京高検を弾劾し、東京高裁の鑑定人尋問・万年筆インクの鑑定実現を裂帛(れっぱく)の気迫で訴えた。

 東京高裁前は熱気あふれるステージと化し、623行動は狭山大攻勢の新たな出発点として大成功をかちとった。

 この道を突き進もう。迎える7月。717狭山再審を実現する関西集会を大成功させ、725要請行動へ、再び決起しよう。84歳、石川さんの命運はここにかかっている。私たちの人生もまた、ここにかかっている。すべてを賭して、たたかいぬこう。

東京高検要請行動

写真⑩東京高検要請行動へシュプレヒコール

 

 11時からの高検要請行動は、東京高検から片野担当検事をはじめ、渡部検察事務官、清水検察事務官の3名が出席。要請団は21名が参加(1名は介助者)。今回から要請団の参加枠は20名になった。

 要請団あいさつの後、各地からの要請文9通が読み上げられた。その後、口頭での要請が片野検事との間で行われた。

要請団:事実調べをなぜ必要ないというのか。一審検事論告を読んだのか。

片 野:検事論告は読んだ。この場に持ってきている。

要請団:前回、要請文に添付してカモイの模型を提出したいとの申し入れをしたが、大きす 

    ぎるとの理由で受け取りを拒否された。そのため紙で作成したカモイの模型をここ

    に持ってきた。(片野担当検事の前で、作成した紙のカモイの模型に万年筆を置 

    き)万年筆が見えますか。

片 野:見えますね。(片野検事の発言に、要請団全員がざわつく)

要請団:担当検事が自分で現場を見るのは責務じゃないですか。「出かけられない」のでは  

    困るので、ここに作ってきた。

片 野:弁護士を通して三者協議の場で、証拠添付書類に添付して出してもらえば、私も見 

    ることができるんですけどね。

要請団:石川さん宅の家宅捜索には、関東周辺の偉いさんも来て2回も行い、万年筆は見つ 

    からなかった。3回目で見つかったというが、こんなことが出来るのか。

片 野:違法ではない。

要請団:一審検事論告の差別性についてどう思うか。

片 野:そういう風に考えている人がいるのは理解できます。しかし、部落差別とははっき 

    り書いてない。

要請団:同対審答申も読んで欲しい。

片 野:読みました。

要請団:一審検事論告には部落差別と書いてないというが、部落のおかれた現実が犯罪の温 

    床であると言っており、書いてある意味をしっかり考える必要があると思うが。

片 野:私は要請を受ける立場であり、意見を言う立場にない。

 

 以上、東京高検要請行動は1145分に終了。

東京高裁要請行動

写真⑪東京高裁要請行動へシュプレヒコール

 

 1430分からの東京高裁要請行動は、要請団21名(1名は介助者)が参加。高裁からは、小寺訟廷管理官、荒川訟廷副管理監、総務課西田の3人が出席。

小 寺:要請は30分をメドにお願いします。

要請団:時間について言う前に、まず要請文を聞きなさい。今回は必死の思いで全国から集 

    まって来ている。

小 寺30分でお願いします。

 その後、8通の要請文が読み上げられ、その後口頭での要請が行われた。

要請団:狭山だけ事実調べが行われていないのは部落差別だ。万年筆が「発見された」とい 

    うカモイは、捜査官が10数名で2時間以上かけて2回も家宅捜索しても、発見され 

    なかった。ところが3度目ですぐ見つかった。おかしい。カモイは現場検証すれ

    ば、すぐ目に付くところだとすぐわかる。現場検証をやって確かめるべき。

要請団:一度も事実調べをしていないことが問題。きちんと現場検証をおこなうよう大野裁 

    判長に伝えて。

 

 以上、東京高裁要請行動は1523分に終了。

当面の取り組み

●「狭山事件の再審を実現する717関西集会」●

717日(月・祝日)午後130分より

 エル大阪 6F 大会議室(大阪・天満橋駅徒歩4分)

 主催:狭山事件の再審を実現する大運動

 ー主なプログラムー

・よびかけ人あいさつ

・狭山現地調査のビデオ

・狭山大運動(略称)共同代表・長谷川直彦弁護士からの訴え

・東京高裁要請行動の報告

・「袴田事件」弁護団・村﨑修弁護士からビデオ・メッセージ

 「袴田再審の教訓」

・部落史研究家・本田豊さんのお話し

 「狭山事件と部落差別」

・自由発言

・行動提起

・団結ガンバロー 

呼びかけ人(50音順)

久保  敬 (元大阪市立木川南小学校長)

鶴丸  春吉(社民党寝屋川支部長)

長谷川 直彦(弁護士)

本田  豊 (部落史研究家)

松平  要 (東大阪市議)

宮川 謙二 (東大阪アゲインストの会)

 

 ●狭山要請行動●

725日(火)集合:正午 東京高裁正門前

前回、11月までの予定スケジュールを示しましたがいったん中止とさせていただき、8月以降の日程は現在の情勢をめぐる議論をふまえ、あらためて決定します。

5・21狭山現地調査報告

 昨年に引き続き、狭山現地調査を行いました。

 今回は青年を中心に、茨城10人、長野5人、大阪5人、奈良3人、東京2人、中四国2人の

27名が参加し、ウソの「自白」コースを歩きました。

 最後に狭山現地事務所(旧石川さん宅)に向かいました。

 参加者は4班に分かれ、カモイの万年筆を見学。初めて参加した身長130センチに満たな

い小学生もカモイを見て、父親に「万年筆が見える」と伝えました。

 石川さんを犯人にするため、カモイの万年筆がねつ造されたものであることを全員が確

信し、石川さんの無罪をかちとる決意を新たにしました。

 その後富士見集会所に移動し、感想・報告集会を行いました。

 

写真①

12時半 狭山市駅西口に集合

 

 青年の担当者から、ウソの「自白」をめぐるコースの説明がされました。

写真② 荒神様

 

 石川さんの「自白」では、入間川駅から荒神様の横を通り、その先のX字型十字路で被

害者と出会ったとされています。

 毎年5月1日に荒神様ではお祭りがあり、事件当日はおおぜいの人で賑わっていました。

しかし、石川さんを見たという人はいません。

 事件が起きた年はいつものお囃子にかえ、流行歌などのレコードをスピーカーで流していました。「自白」では、取調べ刑事からお祭りの様子を聞かれても、石川さんは「それは聞きませんでした」と答えています。実際に石川さんが荒神様の横を通ったなら、スピーカーから流れる音楽を聞かなかったということはありえません。祭りに参加した人たちが誰も石川さんを見ていないことと合わせ、荒神様を通ったという「自白」がウソであることは、明らかです。

写真③ 「出会い地点」とされるX字型十字路

 

 石川さんの「自白」では、X字型十字路で偶然出会った被害者の女学生を誘拐しようと決め、乗っていた自転車の荷台をおさえて、「用があるからこっちへ来い」と言ったら、黙ってついてきたことになっています。

 女学生が自転車を持ち、石川さんは自転車をはさんで女学生の反対側を歩き、一緒に農道を通って「犯行現場」とされる雑木林にむかったことになっています。

 石川さんと被害者とは、まったく面識がありません。そもそも、たまたま出会った見知

らぬ女学生を、とっさに誘拐しようなどと考える誘拐犯などいません。

 被害者はスポーツ好きで、気が強い方と父親が言うほど勝ち気な高校生です。

 学校帰りに、いきなり見ず知らずの若い男に呼び止められただけで、約700メートルも離れた雑木林の中まで黙ってついて行くなど、考えられません。

 すぐ近くの荒神様のお祭りに大勢の人がおり、雑木林に向かう農道両側の畑では農作業をしていた人もいました。助けを呼ぶか逃げ出すのが自然です。「自白」は、およそありえない作り話でしかありません。

写真④ 現地調査団に農作業中の男性が話しかけてきた

 

 カバン等の「発見現場」付近の溝(現在は水路になっている)にむかって歩いて行く調査団に、農作業をしていた高齢男性が話しかけてきました。

 男性は「前に石川一雄さんも(現地調査に)来たことがあり、狭山事件の話を聞いている」「こんなひどい裁判、いい加減にしてほしい」と怒ってました。

 突然のサプライズに参加者一同、驚くと同時に感動!!

写真⑤ カバン等「発見現場」の方向を指さす

 

 被害者のカバンは、石川さんの「自白」にもとづいて6月21日に発見されたことになっています。

 被害者の自転車のゴム紐、カバンに入っていた教科書、ノート類は、それ以前に発見され、カバン、教科書、ゴム紐は別々に捨てられていました。

 確定判決は、石川さんが「自白」して書いた略図の通りにカバンが発見されたのは「秘密の暴露」にあたると有罪の根拠にしています。

  しかし、証拠開示された6月21日の取調べテープで、警察官にカバンの中身を入れたままかどうかと聞かれ、石川さんは戸惑いながら「入れたまま」と実際の発見状況と違う答えをしています。それに対し関巡査から「本や何かあったんだ」と言われ、石川さんは「あったの?」と聞き返しています。そして関が「うん」と答えると「それじゃあ知らねえよ」と言っています。

 さらに警察官に「カバン、出して埋めたのか、カバンだけは別に埋めたのか?」と聞かれ、石川さんは「カバンはすぐそばにありますよ、そいじゃあ」と答えています。実際にカバンが発見された場所は、教科書・ノート類の発見場所から約136メートルも離れ、「すぐそば」とはとうてい言えません。

 石川さんの6月21日の最初の調書では、「(教科書は)カバンごとおっぽっちゃった」とカバンに入れたまま捨てたとなっています。それが2回目の調書では、「よく考えてみたら思い違い」で、本は「カバンから出して…そのそばへ放り出し」たと、変わっています。開示された取調べテープのやりとりは、この「自白」が変わる間の取り調べでのことです。

 「自白」を維持していた一審の法廷で、カバンと教科書を別々に埋めた理由を聞かれ、石川さんは「最初はね、おれはそばだと思ったんだけど」と、真犯人ならするはずのない奇妙な答えをしており、開示された取り調べテープで、この真相が明らかとなりました。捨てられた状況を知らず、カバンは教科書と一緒にあるものと考えていた石川さんが、警察官に誘導され、別々に捨てたと「自白」させられていきました。カバンの発見は「秘密の暴露」どころか、警察官によるねつ造です。

写真⑥ 「殺害現場」とされた雑木林跡地

 

 現在は家が建ち並び閑静な住宅街となっているが、かつては「殺害現場」とされた雑木林があったところ。

 

<「殺害現場」に血痕はなかった>

 被害者の死体後頭部には1・3センチの裂傷があり出血している。当時の埼玉県警鑑識課員は、「雑木林でルミノール反応検査をおこなったが反応は出なかった」と弁護団に証言。2011年3月に証拠開示された検察官の報告書でも、雑木林でルミノール反応検査をおこなったが反応はなかったと元鑑識課員は答えています。

 

<雑木林に人影もなく、悲鳴も聞かなかった>

 「殺害現場」とされる雑木林の隣りの畑で、事件当日薬剤散布をしていたOさんの証言

(1981年7月と2010年5月に証拠開示)。Oさんは畑の畝にそって作業をしており、「殺害

現場」とされる地点から、最大数十メートル、除草剤がなくなって作業を中止した場所から20メートルしか離れていません。

 当時の雑木林は樹木がまばらで、「殺害現場」とされる場所から農作業するOさんの姿は見える位置にありました。すぐ近くに農作業をしていた人に、一部始終を見られているかもしれない可能性もある場所で、殺害することなど考えられません。

 鑑識課員による「殺害現場でのルミノール検査に反応がでなかったとの証言、Oさんの雑木林に人影もなく、悲鳴も聞かなかった」との証言。「殺害現場」は警察によるねつ造以外考えられません。

写真⑦ 死体運搬実験

 

 「自白」では、「殺害現場」の雑木林から死体発見現場近くのイモ穴まで約200メートルを、死体を前にかかげて運んだとされています。

 被害者の体重は54キロ。参加者の中からほぼおなじ体重の人に「死体」になってもらい、力自慢の青年の協力をえて「死体運搬実験」を行いました。地面から「死体」を持ち上げ、前にかかげて歩き出して10メートルも歩かないうちに、「もうこれ以上はムリ」と青年はネをあげてしまいました。「自白」のとおり死体を前にかかげて200メートル運ぶことなど到底不可能であることを実際に体験することで、「自白」がいかに不自然であり、警察の取調官の描いたストーリーに誘導されたものでしかないことを参加者全員が実感しました。

写真⑧ 旧石川さん宅(現 狭山現地事務所)

 

 暑さ厳しいなか、約1時間半かけウソの「自白」コースの現地調査を歩き終え、全員元気に狭山現地事務所に到着。

写真⑨ かもいの万年筆1

写真⑩ かもいの万年筆2

かもいの万年筆

 

 参加者は、お勝手入口のカモイの万年筆を一目で確認できました。背の低い小学生でもカモイの万年筆が見えた」と言っています。

 確定判決では、カモイは「背の低い人には見えにくく、人目につきやすいところであるとは認められない」とされ、その後「捜査官の目にとまる場所ともいえず」(1977年8月9日上告棄却決定)、「目につきにくく、見落としやすい箇所」(1980年2月5日第1次再審棄却決定)、「さっと見ただけでは万年筆の存在が分かるような場所とは必ずしも言えず」(2000年5月16日第2次再審特別抗告棄却決定)と言い方を変え、2回の家宅捜索で万年筆を発見できなかったのは、捜査官の見落としによるものとしています。

 実際の石川さん宅への家宅捜索は、1回目は石川さん逮捕当日の5月23日に捜査員12名で2時間17分かけ、2回目は6月18日に捜査員14名で2時間8分かけて行われました。その様子は懐中電灯で照らしながら、室内はもちろん、床下、天井裏の隅々を調べ、さらに屋根の上、家の周辺で盛り上がっているところを掘り返すなど徹底した捜索でした。

 カモイは、高さ175・9センチ、奧行わずか8・5センチしかありません。当時の家宅捜索を行った元刑事は、背が低かったので台を使って上を調べ、カモイに手を入れて探したが

万年筆は見つからなかったと述べています。1回目の家宅捜索の際、警察が撮影した写真に

もカモイの前に脚立が写っているのがはっきり見えます。

 2時間以上かけた2回の徹底した家宅捜索でも、万年筆は発見できませんでした。万年筆はカモイになかったと言わざるをえません。石川さんのウソの「自白」にあわせて、警察官が3回目の家宅捜索以前にカモイに万年筆を置き、証拠をねつ造したとしか考えられません。

 

写真⑪ 石川さんご夫婦宛ての寄せ書きを書く小学生

写真⑫ 白山神社境内で説明する青年

 

 部落史研究家の本田豊さんの話では、白山神社(当時は名前が違った)は鎌倉時代初期から存在していたと思われ、石川さんの住む被差別部落との関係があったとされています。

写真⑬ 富士見集会所で感想会・報告集会

 

 参加者のなかには、初めて狭山現地調査に参加したという小学生や青年もおり、だいぶ

昔に現地調査に参加して、今回は久しぶりに参加した青年もおり、大昔に現地調査に参加

したときは、まだ事件当時の風景が残っていたと話す婦人もいた。年代も10代から70代と

幅広く、狭山への関わりも、最近から数十年に及ぶ人達が参加した今回の現地調査。

 報告集会では、狭山現地調査に参加しての感想・思いが語られました。一人一人の参加者の感想・思いは、狭山現地調査に参加することで追体験した、何も知らない石川さんを家族の情につけこみウソの「自白」に追い込み、「犯人」にデッチあげた警察のやり方と、その背後に貫かれた部落差別への人間としての怒りであり、この理不尽をなんとしても正さずにはおかないという強い意思がほとばしっていることでした。それぞれが、狭山差別裁判とたたかうことの原点を再確認する場であったと思います。

 狭山第3次再審闘争の決着の時が迫る中、改めてこの狭山大運動をさらに多くの人を訴え、力ある存在へと高めていく責任が、私たち一人一人の双肩にかかっていると改めて実感

しました。

5・22狭山要請行動

 前日の狭山現地調査に参加した青年部中心の6人をはじめ13人が参加。東京高検要請行動と東京高裁前宣伝を行いました。なお、東京高裁要請行動は東京高裁側の都合がつかず今回は中止。

東京高検は、担当検事交代を口実とした引き延ばしをやめろ

 

<11時から東京高検要請行動>

 この4月に担当検事となった片野検事は欠席。代わりに片野検事の担当に併せて前回から要請行動に出席した渡部検察事務官、乙部検事のもとで要請行動に出席していた公判事務課の和田が出席。要請団の10人の参加制限は解除、以前の20人に戻すとのことです。

 4通の要請文が読み上げられ、その後口頭での要請をおこなった。

 片野担当検事の欠席の理由は、「所用で。別の用事があって欠席した。」とのこと。  

 要請団からの質問に対しては、渡部は「お答できません」一辺倒。

 要請文に添付するとして、カモイの木製模型を提出するので、検討してほしいと要望。

 要請文に添付して、「狭山大運動」会報第11号(5月号)を提出した。

東京高裁大野勝則裁判長は、高裁独自の万年筆インクの鑑定と11人の鑑定人尋問を行え

 

<12時から東京高裁前宣伝> 

 署名が31筆と東京高裁大野勝則裁判長宛の要請ハガキ5枚。署名は昨年の11月以来の多さで、宣伝時間中、高裁前歩道のいたるところで署名に応じる人の姿が見られた。午後からの砂川裁判の傍聴参加のために来た人たちの人多くに署名に協力していただいた(下写真)。