寺尾判決50ヶ年糾弾 11・1東京高裁前へ
9・26袴田再審無罪判決の「次は狭山だ!」
万年筆100本実験の実現にご協力を
〈送り先〉〒577-0023 東大阪市荒本1-8-14-116
部落解放同盟全国連 婦人部まで
100本の万年筆実験にむけ、まだ万年筆が足りません。ぜひ皆様のご協力をお願いします。※返却が必要な方は、その旨お知らせください。
8・22狭山要請行動
東京高検要請行動にむけ拳をつきあげる要請団
法務省前で「ただちに再審法を改正せよ」とシュプレヒコール
8・22狭山要請行動報告(要旨)
今回の狭山要請行動には、鶴丸春吉・狭山大運動共同代表はじめ全国各地から15名が参加。
弁護士会館での事前打ち合わせで、7月18日の家令裁判長による講談社元社員の朴鐘顕(パク・チョンヒョン)さんへの差戻審での有罪判決をめぐり、家令裁判長に対し事実調べを行え、しないなら辞めろと迫る対応が必要と確認。
午前11時からの東京高検要請行動では、4通の要請文が読み上げられ、その後証拠開示をめぐるやりとりで、吉浪担当検事は「適切に対応している」と繰り返し、その対応に要請団から抗議の声がありました。
東京高裁前宣伝は、雷雨のため中止。
午後2時15分から東京高裁要請行動。4通の要請文が読み上げられ、その後の質問に、杉山訟廷管理官は官僚的対応に終始。
午後3時過ぎに法務省行動を取り組んだ。
10月からの郵便料金値上げに伴う今後の購読料について
10月1日より、郵便料金が値上げされます。この状況に対応するため現在、会報の第三種郵便の認可申請を行っています。この結果が明らかになるまで、一定程度の時間がかかります。その間、現在の購読料はそのまま据え置き、結果が出た時点で改めて今後について検討させていただきます。
当面のスケジュール
◆11月1日(金)狭山要請行動・東京高裁前行動
10時30分 弁護士会館集合
集会(弁護士会館内)
12時 東京高裁前宣伝行動
14時 東京高裁要請行動
東京高検要請行動
15時すぎ 法務省交渉
◆10月5日(土)大阪・寝屋川 「造花の判決」上映会
13時 寝屋川市立学び館
◆10月6日(日)大阪・京橋街宣
15時 JR京橋駅
◆9月22日(日)福岡・天神街宣
16時 天神・パルコ前
主催 福岡SAYAMAネット(略称)
シリーズ 狭山第3次再審闘争勝利への道
家令裁判長による、事実調べ・鑑定人尋問をめぐる重大な山場を迎えた。焦点は、裁判所による万年筆インク鑑定・下山鑑定人尋問の実現にある。発見万年筆が「警察による証拠の捏造」である、この点を明らかにすることが再審実現・石川さん無罪をかちとる道だ。検察による「水洗い」論の粉砕へ、全国連婦人部による「100本の万年筆インク実験」は、極めて重要な取り組みだといえる。
今、狭山差別裁判とは何か、なぜ石川一雄さんが「犯人」とされたのかを改めて再確認することの重要性はいうまでもない。新たなシリーズ企画を今号から連載する。
第1回 部落差別による国家権力犯罪
なぜ石川一雄さんは狭山事件の「犯人」にされたのか
警察の失態と大社会問題化
1963年5月1日、埼玉県狭山市に住む女子高校生・Nさんが帰宅途中に行方不明になり、その日の午後7時40分頃、自宅に身代金要求の脅迫状が届けられるという事件が発生した。これがいわゆる「狭山事件」のはじまりである。
1ヶ月前、東京で「吉展ちゃん」事件という幼児誘拐事件が発生。このとき警察は、身代金受け取り場所に捜査員を張り込ませながら、犯人を取り逃がす失態を演じ、その後、吉展ちゃんは死体で発見された。
狭山署を中心とした捜査陣は、翌5月2日、身代金受け取り場所に40人もの警察官を張り込ませ大包囲網をしきながら、またしても「犯人」を取り逃がす大失態を演じた。 犯人は、身代金を持った姉と警察官の目の前で10分間にわたり会話していたという。「今度の女子学生事件は、吉展ちゃん事件以上の不手際であった」(篠田国家公安委員長の記者会見)と認めざるをえない大失態だった。 その2日後の5月4日、被害者Nさんは死体となって発見され、事件は最悪の結果となった。
事件を防止することも、被害者を救出することもできない無能の警察の姿が浮き彫りにされ、ふたつの相次ぐ「誘拐殺人事件」という凶悪犯罪によってかきたてられた社会不安が、そのまま警察や政治に対するごうごうたる非難の大合唱となった。
国会では、衆議院本会議、衆参両院の地方行政委員会などで、国家公安委員長や警察庁幹部へ連日、追及がおこなわれた。 自民党治安委員会による事件現場視察や、石川一雄さんが逮捕、起訴された直後の7月9日には、当時の池田首相夫人が、被害者宅を弔問した。事態の責任をとり、柏村警察庁長官が辞任。まさに異例中の異例といえる。
狭山事件の発生と、警察による失態は、警察の存立が揺らぐ大社会問題へ、いや時の内閣がゆらぐ大政治問題へと発展していく。
当時の新聞は、「小杉関東管区警察局長が自ら自動車で狭山の現地に飛び」(『朝日新聞』)、「国会では問題になるし、上からは調査に来るし、われわれが被疑者みたいなもんですよ」(『週間朝日』での竹内狭山署長談話)、「捜査本部には、それこそ日本の警察のメンツがかけられていた」(『日本経済新聞』)と報じ、警察は追いつめられ、いかに必死になっていたかが見て取れる。
犯人逮捕と事件の解決は、単に狭山警察や埼玉県警の利害をこえ、日本の警察の威信をかけた大問題となった。
篠田国家公安委員長が陣頭指揮にのりだし、捜査幹部は全員、「辞表を懐に入れて捜査に従事していた」と言われていた。5月17日には、奏上(天皇に報告する儀式)した篠田国家公安委員長に対し、天皇が直接狭山事件をとりあげ叱咤激励する、極めて異例なことも行われた。犯人逮捕は、日本国家の威信をかけた至上命令でもあった。
「死んだものに用はない。生きた犯人をつかまえろ」
ところが、警察に決定的打撃となる事態が発生する。最重要容疑者と目されていた人物の突然の自殺である。5月6日、被害者宅に作男として出入りしていたОが、結婚式を翌日に控えていながら、農薬を飲み井戸に身を投げ自殺した。この人物は、B型の血液型(被害者の体内に残されていた精液から検出された血液型と同じとされる)の持ち主であり、被害者と顔見知りでもあり、警察は当初から最重要容疑者とみていた。
警察幹部は、「犯人は必ず土地の者だという確信をもった。近日中にも事件を解決することができる」(上田埼玉県警本部長)、「近日中にも事件を解決したい」(中刑事部長)と、犯人逮捕に自信を表明していた。しかしОの自殺で事態は一転し、「迷宮入り」の危機に直面する。警察にとって、最悪の事態となった。
だが、ここから事態はとんでもない方向へと転換する。Оの自殺に対し、篠田国家公安委員長は「死んだものに用はない。生きた犯人をふんづかまえる」(5月7日『埼玉新聞』)という驚くべき見解を述べ、自殺の翌日には「Оはシロ」と発表し、Оに関する捜査は打ち切られてしまう。
この「生きた犯人をふんづかまえる」とは、恐るべき陰謀を、とんでもない卑劣な策謀を意味していた。
警察にとって、真相の究明でも、事件の解決でもなんでもない、警察による「犯人」逮捕の結果だけが必要とされ、そのため「犯人」が必要とされた。
「生きた犯人をつかまえる」とは、警察のメンツを守るため「イケニエ」をつくることにほかならなかった。
(次号につづく)
8・22狭山大運動(略称)代表者会ひらく
狭山事件の再審を実現する大運動の代表者会が、8月22日、東京・むさん法律事務所で行なわれた。
活動報告では、この日の要請行動を悪天候のなか、15人の参加で敢行したこと。家令裁判長に「事実調べしろ。しないなら辞めろ」と迫った。法務省門前行動も行った。
万年筆100本実験は現在25本。この日も銀座の万年筆専門店の貴重な証言が報告された。
狭山再審の状況分析では、7・18家令不当判決について、法医学者の鑑定を「写真で判定したのは解剖所見に劣り、採用できない」と控訴棄却したが、狭山第二次再審棄却の「殺害方法にかかわる新証拠」と同様の論理であり、看過できない。再審申し立て段階でも忌避できるが、まずは「事実調べしろ」と迫り、それいかんであると認識した。
石川さんの近況
石川さんの近況では、ネットの早智子さん日誌等参照し、「盆は徳島に行ったが、これが最後になるかも」と語っている。何としても健在なうちに、再審無罪を。
袴田再審が9・26に判決。「次は狭山だ!」の連携を強める。9・26から最大のチャンス、考えられる全ての行動を。高裁要請、街宣、ハガキ、署名、集会、キャラバン、現調。とりわけ万年筆100本の実現。改めて、万年筆・インク問題にかける。凝固実験も必要。
また、9・19に日弁連が再審法改正で大規模な集会。11・1行動を大運動としてとりくむことを、最後に確認した。
全国連・婦人部は、7・26テスト実験に続き
7・28第1回・万年筆インク水洗い実験を行う
水洗いでは、インクは消えないことが明らかに
万年筆100本実験の実現にご協力を
〈送り先〉〒577-0023 東大阪市荒本1-8-14-116
部落解放同盟全国連合会 婦人部まで
※返却が必要な方は、その旨お知らせください。
―実験方法―
今回の実験は、全国から寄せられた古い万年筆と古物商等から入手した万年筆のうち、スポイト式万年筆3本を使用
▼万年筆は、1か月以上前からインクを補充・使用して熟成期間を設け、できるだけ事件当時の被害者の使用状況に近づけるよう考慮した
▼実験は、水を入れたボウルに万年筆のペン先から3センチ程度浸し、スポイトを押しインクを押し出す作業を繰り返し行った。水がインクで染まっていく
▼水交換を4~5回繰り返すと、スポイトを押してもインクが染みでず、水が透明なままの状態に
▼実験した万年筆でキッチンペーパーに線を書く。線にインクがしみ出ているのが確認できた。
実験前の試し書きの様子
試し書きの手元を拡大したもの。書かれた線がはっきり確認でき、インクが入っていることがわかる。
万年筆のスポイトを押すと、水は瞬く間にインクの色に染まる。
2回の水替えでは、スポイトを押すとまだインクが出ている。
4回の水替えでやっとインクが出ず、水はきれいなまま。
水洗い後、キッチンペーパーに書いてみる。
後の万年筆の試し書き。写真の矢印は上から下に向かって線を書いたことを示す。書き進むにつれ、水分が抜けインクが濃くなっているのが水洗い確認できる。水洗いでインクは消えないことは明らか。
Facebook「狭山事件の再審を実現しよう 交流掲示板」にて、万年筆インクの水洗い実験動画を公開中
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当面のスケジュール
◆8月22(木)狭山要請行動
10時半 弁護士会館集
11時 東京高検要請行動
12時 東京高裁前宣伝行動
14時15分 東京高裁要請行動
15時すぎ 法務省交渉(予定)
◆8・25(日)福岡・天神街宣
16時 天神・パルコ前
主催 福岡SAYAMAネット(略称)
秋の再審法改正で、
検察の待った、無しに追い込もう
狭山大運動(略称)共同代表
社民党 大阪・寝屋川支部長
鶴丸 春吉
日本弁護士連合会は2019年大会で、再審請求手続きで、証拠開示の制度化、検察官の不服申し立てによる長期化を禁止する決議をあげています。
2023年の大会では、再審法の改正案が決議されています。今年1月までに全国179地方議会で再審法改正決議があがって、3月には再審法改正の与野党国会議員連盟が結成されましたが、国会の法務委員会、予算委員会の改正問題質疑では、法務大臣等は従来の消極的態度でした。6月の総会では、300名余の議員が賛同し、与野党党首等が顧問となり、改正要望書が検討され、議員立法も必要だとの意見もだされ、法務大臣に要望書が手渡されました。
日弁連の改正案
日弁連の改正案は、刑事訴訟法の第四編「再審」、第435条「再審請求の理由」から
、第453条「無罪判決の公示」まで。現行法と改正案が表示されています。
435条「再審請求の理由」は変更なしで、「有罪の確定判決に対して、その言い渡しを受けた者の利益のためにする。〈原判決の証拠が偽造、変造が証明されたとき〉」。
しかし、445条の「再審の請求を受けた裁判所は、必要あるときは、合議体の構成員に再審の請求の理由について、事実の取調をさせ」とあるのを、以下のように具体的に改正しています。「再審の請求がされたときは、裁判長は、速やかに、再審請求手続期日を定めなければならない」「再審の請求がされたときから二箇月以内の日に指定しなければならない」「再審請求手続き期日において、請求者及び弁護人に再審の請求の理由を陳述する機会を与えなければならない」。
また445条の改正条項に、「再審の請求を受けた裁判所は、検察官に証拠の開示を命じなければならない」「再審請求者と弁護人は事実調べに立ち会い、証人に尋問することができる」などが付加されています。
秋の国会で日弁連の改正案を基に議員立法が審議されて可決されることを願います。
今まで再審条項の不備を利用して、狭山再審を妨げてきた検察権力の乱用を一掃し、石
川さんの無実を勝ち取りましょう。
5・23法務省抗議行動で再審法改正を訴えた
市民の会署名60万筆達成へ
猛暑のなか、各地で訴え
◆8.4 大阪梅田街宣
マイクでの訴えに応え署名する青年
急ぎの用事を抱えるなか、快く署名に協力する青年
青年の二人連れ。一人が自分のペンを取り出し、もう一人に署名を
◆7・28 福岡・天神街宣
鴨居の模型を使って説明を工夫
次々と署名に応じてもらいます
若い家族も快く署名
検察「水洗い論」粉砕し、再審実現を
全国各地で、万年筆インキの水洗い実験に取り組もう
◆市民の会署名60万筆の達成にむけ、地域・職場・街頭で訴え、一人でも多くの署名を集中しよう
◆各地で草の根座談会を組織し、狭山DVD上映会をやりぬこう
6・23大阪・JR天王寺駅街宣
多くの通行人にマイクで訴える、鶴丸春吉共同代表
狭山の訴えに、ビラを受け取る男性
狭山の街宣と知り、自ら進んで署名に協力する女性
6・23福岡・天神街宣
石川さん無実を科学的に訴える
しっかり話を聞いてくれます
「私も狭山に取り組んでいました」
当面のスケジュール
◆8月22日(木) 狭山要請行動
10時半 弁護士会館集合
11時 東京高検要請行動
12時 東京高裁前宣伝行動
14時15分 東京高裁要請行動
15時すぎ 法務省交渉(予定)
◆7月28日(日) 福岡・天神街宣
16時 天神・パルコ前
主催 福岡SAYAMAネット(略称)
各地で狭山DVD上映会を組織しよう
狭山みごと再現し、無実・差別・権力犯罪を暴露
DVDで『青木布団にくるまりて』 あらためてぜひ
投稿 北浦裕樹久
今もその感情は鮮明に覚えている。
1980年年代、まだ20歳前後だったか、奈良県桜井市民会館の大きなホールで狭山の舞台演劇『青き布団にくるまりて』を生で観た。衝撃だった。怒り、悲しみ、苦しみ、そういう感情が混ぜこぜになって全身が震えた。若かったこともあるが「一生コイツらを許さん!」「とことんやったる!」と、幕が下りたあと本気でそう決意した。
それから40余年、今もやめずにいるのはこの演劇を観たからだと言っても決して言い過ぎではない。それほどまでに強烈だった。
別格の「狭山教材」
私は高校に入学していきなり校内解放研の顧問教師らに呼びだされた。部落出身生徒が
集められ、部落差別と解放運動を頭ごなしに教えられた。狭山事件のことも初めて知った
。70年代、15~16歳の頃である。その後、学校やムラでなかば強制的に色々な狭山映画を
観せられた。正直に言ってその頃はあまりワケがわからなかった。というより、あまり心
に響かなかった。話が長くなるので端折るが『青き布団――』というこの演劇鑑賞も自ら
すすんで観に行ったのではなかったような気がする。ところが今まで見聞きしてきた狭山
とは別格だった。これほどみごとに経過、事実、構図を分かりやすく臨場感たっぷりに描
いた作品はほかにはない。あくまで個人的な感想だが、これを超える「狭山教材」はない
、今もそう思う。
狭山のことを知ってもらう、思い起こす、再学習する、それにはやっぱり映像が一番。
とはいえ、狭山映画はどれもこれも古く入手も困難である。最新のものといえば10年前の
『みえない手錠をはずすまで』。もっと手軽に観ることができないものか…。そんな時、
私が所有する『青き布団――』のビデオテープを事務局が苦労してDVD化してくれた。
これも古いし画像も音も少々悪い。が、大々的に薦めたい。あらためて観ていただきたい
。個人で、家族で、グループで。
今こそぜひ。
狭山大運動(略称)代表者会
7月8日(月)オンラインで開催
共同代表、事務局に、会報の担当者が参加した。この間の活動では全国連大会の御礼、
各地の街宣、などが報告された。狭山再審の状況は、6・11三者協議のなかみの検討の
うえで、次回以降の動向を注視することとした。
再審法改正が重要局面に
再審法改正を求める議員連盟が300人をこえ、今秋国会に議員立法での提案も予想さ
れ、狭山再審とならんで重要局面にあることを確認した。
夏期方針が検討され、①8・22狭山要請行動(対法務省含む)を取り組むことを決定
、②担当裁判長が家令和典裁判長に変わったことで、大横断幕を更新することにし、併せ
てのぼり旗を作成することとした。③万年筆100本(現在5本)運動が確認された。④
会報について、A4・8ページ案とA3二つ折り・4ページ案が検討された。結論として
、形式よりも企画の改善(シリーズ企画「狭山事件のここが争点」や、石川さんの近況、
再審法など)により、内容を読みやすく、充実した紙面構成にしていくことを確認した。
―狭山大運動代表者会は、リモートで東京と関西をつないで開かれ、第3次再審勝利にむけ、活発な意見が交わされた。写真は大阪側で撮影―
<第7回>
狭山大運動(略称)会員の方々の
第3次再審勝利にかけた思い
大阪・高槻市 富田町病院院長
小西 弘泰
1969年11月14日、5人の部落青年による浦和地裁占拠闘争がたたかいぬかれました。その衝撃を受け、部落解放同盟を先頭に労働者・学生の狭山闘争への取り組みが、全国にひろがりました。その過程で私も狭山を取り組むようになり、東京・日比谷公園での集会にも参加しました。
当時私は、大阪・高槻市にある富田町診療所の所長をしていました。富田地区には被差別部落があり、部落差別による劣悪な生活環境のなかで病気の人も多く、住民からの要望を受け、「親切で差別のない医療をできるだけ負担を少なく提供する」をモットーとした運営方針のもと、診療所に泊まり込んで診察しました。同時に週の半分を、部落の青年との狭山の学習会や集会への参加、労働運動との交流に取り組みました。
私は京大医学部当時、医学部自治会委員長として60年安保闘争を取り組み、医学部初
の学生ストライキをたたかいぬきました。その経験から医療に従事するだけでなく、政治
・社会運動を一体的に取り組む必要性を感じていました。富田町診療所の所長を引き受け
てから今日まで、その思いを不十分ながら貫いてこれたのではないかと思います。
富田町診療所はその後、多くの患者さんの要望と支援・協力のもと病院建設へと発展
し、富田町病院として今日に至っています。そのなかで1990年代の初め、連携する病
院の職員による差別発言がありました。糾弾会のなかで、差別のない医療を根本から見つ
め直しました。今日にいたるまで、狭山事件・部落差別と向き合う原点です。
石川さんの再審無罪の実現へ、少しでも力になれたらと思います。
―お詫びと訂正―
前号会報第24号記載内容に2ヶ所の誤りがあり、お詫びして訂正させていただきます。
<1>1面見出し部分。「石川さん『命あるうちに再審を』…」の部分に誤りがあり、正し
くは『無罪を』でした。
<2>2面左下、「第6回 狭山大運動(略称)会員の方々の第3次再審勝利にかけた思い
」の記事部分。最下段の「奇数月はJR高槻駅で、偶数月は阪急茨木駅で…」は誤りで、正しくは「偶数月はJR高槻駅で、奇数月は阪急茨木駅」でした。
石川さん「命あるうちに無罪を」の心の叫びに応え
インク鑑定、鑑定人尋問を実現させよう
◆当面の目標
市民の会署名60万筆を達成しよう
◆全国各地で映画会・学習会、署名の草の根運動をやりぬこう
◆みんなで万年筆の水洗い実験に取り組もう
その結果をネットにあげ、検察の「水洗い」論
を粉砕しよう
5・23狭山闘争
東京高裁前行動/高検・高裁要請行動
「家令裁判長は、万年筆インク鑑定と鑑定人尋問を行え」
東京高裁前に座り込んだ43名のシュプレヒコールが、霞ヶ関一帯に響きわたった
東京高検前で要請行動にむけ、シュプレヒコールをあげる参加者
東京高裁正門前で、多くの座り込み参加者に感動して署名に応じる女性
法務省に対し、再審法改正についての申入書を提出しようとしたところ、申入書の受け取りを拒否。参加者は抗議のシュプレコールをたたきつけた
当面の取り組みスケジュール
●6・23(日)大阪・天王寺街宣
午後2時 JR天王寺駅 連絡橋
主催 狭山大運動(略称)関西
●6・23(日)福岡・天神街宣
午後4時 天神・パルコ前
主催 福岡SAYAMAネット(略称)
5.22袴田事件再審裁判が結審
袴田事件再審弁護団 村﨑修弁護士に聞く
―写真は5月23日東京高裁前で袴田再審を語る村﨑修弁護士―
<証拠をねつ造 殺人犯にでっち上げ>
5月22日に論告求刑と弁論があり、結審となりました。裁判が終わったあと、裁判長が「合議しますのでお待ち下さい」と言って退出し、出てきて「(判決日を)9月26日の2時にしたいがどうでしょうか」と聞いてきた。弁護団も検察も了解して、9月26日(木)の午後2時、判決公判が正式に言い渡されました。
裁判の最後の団長の小川弁護士の弁論はよかった。5点の衣類はもちろん、殺害現場にあった殺害凶器と検察官が言うクリ小刀について、袴田さんとの結びつきを検察官は何一つ立証できない点を鋭く批判した。
<5点の衣類の赤みは残らない>
検察官の有罪立証は、5点の衣類の赤みに関する鑑定書のみ。鑑定書には「赤みが残る
」とは書いてない。「一定の条件の下では赤みが残る可能性がある」という内容。どうい
う条件かの記載もない。何の立証もできず死刑を求刑するなど、許せないです。
弁護側鑑定人の清水先生、奥田先生、石森先生3名の法医学者の「赤みが残ることは絶
対ない」との鑑定に、絶対はありえないといちゃもんつけてるだけ。
鑑定人尋問を行い、検察側鑑定人7名のうち2名が証言。1名は「1年以上浸せば、赤
みが残るわけないでしょう」と発言している。赤みが残らないとはっきりしました。この尋問のあとも鑑定した色の問題で何回か法廷があり、全部で5人の鑑定人尋問で、検察が期待した「赤みが残る」との証言は一人もいません。
事件があった1966年、検察は袴田さんの家宅捜索を7月4日に行い、事情聴取して
もなにもでない。その後袴田さんをマークし続け、8月18日に逮捕。袴田さんは何も答え
ようがないですよ。それで長時間取り調べて意識を朦朧とさせ、警察が作った筋書きに沿
った調書を作った。最初は、押収した袴田さんのパジャマに血がついており、これを着て
殺害したと。パジャマに血なんかついてないですよ。それで1年2ヶ月後、味噌樽から5
点の衣類が発見され変更した。狭山の万年筆と同じですよ。
狭山事件と同じ、証拠がないのに起訴し後から証拠をねつ造した。裁判所もそれに乗っ
かって判決書くんだから本当に恐ろしい。
9月26日の判決は、無罪判決はあたり前で、証拠のねつ造も当たり前。検察を厳しく批判した判決しかないと思います。
「命あるうちに無罪を」
―待機主義のりこえ熱い夏をたたかおう
5・23 狭山大運動(略称)代表者会議 開かれる
狭山事件の再審を実現する大運動の代表者会議が、5月23日、東京むさん法律事務所で
開かれました。
石川一雄さん不当逮捕61か年のこの日、検察、東京高裁、法務省の要請行動をやりぬき
、その総括をしつつ、夏にかけての状況認識、方針を討議しました。
おりしも、前日、袴田さんの再審が結審となり、9・26に判決となりました。袴田、狭
山とあい連動して、「捜査機関による証拠捏造」が大問題となります。大運動は、9・26
待機主義をのりこえ、積極果敢にこの夏をたたかいぬくことを確認しました。
狭山再審の状況は、次回三者協議が6月中旬、次々回は8月頃と思われます。これから
が、事実調べの重要な局面をむかえます。袴田さんに、今もって死刑を求刑し、「証拠捏
造など絶対に認めない」という権力意志を打ち破る大衆行動が必要なのです。
「自分の命あるうちに無罪を」石川一雄さんの心底からの叫びにこたえ、インク鑑定、
鑑定人尋問を実現しましょう。市民の会署名の当面60万を共同目標とし、全国各地で映画会・学習会、署名を両輪に草の根大運動をまきおこしましょう。運動体みずから実験し、
ネットにアップして、検察の「水洗い」論を、木端みじんに粉砕しましょう。8月頃の三
者協議をターゲットに、要請行動をやりましょう。各地の住民と連帯し、狭山勝利の総団
結をつくりだしましょう。
第6回 狭山大運動(略称)会員の方々の第3次再審勝利にかけた思い
狭山事件を知ってもらう@茨木・高槻の会
大阪・茨木市議会議員 山下けいき
―写真は横断幕掲げ再審を訴える山下けいきさん―
私は鹿児島出身で、大阪万博翌年の1971年、大阪・茨木市に来ました。家庭の事情があり、大学入学のため新聞奨学生に応募したところ、たまたま働く新聞販売店が茨木市内だったためです。丁度、統一地方選が行われた年でした。
私は高校時代から社会党が好きだったので、駅前で当時社会党の書記長だった石橋さん
の選挙演説の応援にいきました。その反対側で、狭山差別裁判に反対するビラを配ってい
るのを見て、こういう事件があるんだと思いました。鹿児島では、狭山事件や部落差別に
ついて聞いたことがありませんでした。その時は、何か協力したいとの思いで署名用紙を
預かりました。
私の担当した配達地域内に被差別部落がありました。配達先で「あれは、これやからな
」との差別発言を聞き、「えっ」と驚きました。その後社会党に入党し、茨木市内で狭山
の取り組みをするようになりました。
市議として 狭山をたたかう
大学卒業後、1980年に茨木市議会議員に当選し、今日まで議員活動を続けています
。議員活動の一環として、この間の茨木市内における差別事件や解放同盟支部結成などを
まとめた資料をつくって、支部の人たちとの話し合い・交流を深めてきました。新年旗開
きにも参加し、その場で子供たちの勉強をみてもらいたいとの依頼もありました。
狭山事件を知ってもらう会@茨木・高槻を立ち上げ、議員仲間や市民と狭山再審実現訴
える街宣に取り組んでいます。会の活動の基本は毎月第3水曜日の午後6時から1時間、偶数月はJR高槻駅で、奇数月は阪急茨木駅で訴えをしています。
5月22日には、「造花の判決」の映画上映会を行いました。狭山再審を実現するため、
共にがんばりましょう。
JR高槻駅街宣参加のみなさん