2016年8月、弁護団は国際的な美術鑑定家である下山進博士による万年筆のインクに関する鑑定を新証拠として東京高裁に提出しました。
これは石川さん宅から発見された万年筆が被害者のものではないことを、インクの科学的分析によって明らかにし、万年筆を有力な証拠として石川さんを有罪としてきた判決を根底から揺るがす新証拠です。
ではなぜニセモノの万年筆が石川さんの自宅から発見されたのか。下山鑑定は、警察による証拠のねつ造の疑いをも強く示唆しています。
裁判所は下山進博士の鑑定人尋問を行い、再審の法廷で、真実を究明すべきです。
狭山事件の確定判決では、石川さんは被害者を殺した後に万年筆を奪って脅迫状を訂正し、その万年筆を自宅に持ち帰って隠していたとされています。
しかしこの万年筆は2回の徹底した家宅捜索で見つからなかったものが、「石川さんの自白」にもとづいて行われたとされる3度目の捜索で、誰でも見えるお勝手のカモイの上から発見されるなど、当初から疑惑の証拠でした。
▶写真①のように警察は石川さん宅に対して2回の徹底した家宅捜索を行った。捜索を担当した警察官は、退官後、「確かに調べたはずの鴨居の上から万年筆が出たと聞いて本当に驚いた」と証言しています。
▶3回目の家宅捜索で、石川さんの兄・六蔵さんは警察官から「鴨居の上に万年筆があるはずだからとってみろ」と言われ、素手で万年筆をとらされました(写真②)。捜査の常識から言って考えられないことです。
▶写真③は万年筆が発見された鴨居。誰にでも見える場所です。2度の家宅捜索で見逃すはずがありません。
その後、被害者の万年筆のインクはジェットブルー(ライトブルー)なのに、発見された万年筆のインクはブルーブラックであることが明らかになりました。発見された万年筆は被害者のものではないという追及に対して、裁判所は、被害者が級友や下校途中で立ち寄った郵便局で、ブルーブラックを「補充したという推測を容れる余地も残されていないとはいえない」としました。何の証拠もないのに、このような勝手な憶測で、発見万年筆は被害者のものとしたのです。裁判所は、第1次、第2次再審でも、ずっと「補充した可能性がある」といって再審を棄却してきました。
ところで、事件当時、警察はインクの鑑定をやっていました。これは荏原(えばら)鑑定と呼ばれ、長く隠されてきました。これによれば、発見された万年筆のインクはブルーブラック単体で、他の色はまざっていないことが明らかになっています。
被害者が使っていた万年筆(ジェットブルーインクが残っている)に、ブルーブラックを補充したらどうなるのか。それを開示された証拠を元に科学的に鑑定したのが下山鑑定なのです。
下山鑑定は、どんなに微量でもジェットブルーインクが残っていれば、そこに大量のブルーブラックインクを混ぜても必ずジェットブルーの成分も検出されることを証明しました。(ペ-パークロマトグラフィ検査といいます)
発見万年筆のインクはブルーブラック単体であったことはすでに警察側鑑定で明らかになっているのですから、この万年筆の中にはそもそもジェットブルーインクはなかった、つまり、インクが補充された可能性はなく、万年筆は被害者のものではなかったのです。
これまで裁判所がしがみついてきた「どこかで補充し混ぜ合わせた」というペテンはもう通じません。どこでどんな方法でやろうが、補充すれば必ずもとのジェットブルーが検出されるはずなのです。
イチゴにミルクを混ぜ合わせたイチゴミルクでは、必ずイチゴとミルクの成分が検出されます。もしミルクしか検出されなかったとしたら、それは元々イチゴがなかったためにほかなりません。
下山鑑定は、裁判所の詭弁を打ち砕きました。同時に、石川さん宅から「自白」にもとづいて発見された万年筆がニセ物であったということは、捜査官が証拠をねつ造したということを意味しています。下山鑑定は、狭山事件が恐るべき国家権力犯罪であることをも同時に証明したのです。
東京高裁・後藤裁判長は、この重大な新証拠について、必ず下山進鑑定人の尋問=事実調べを行い、真実を明らかにすべきです。
1、下山第2鑑定について
これまでも、被害者の使っていたインクがジェットブルーであるにも関わらず、発見万年筆のインクはブルーブラックであることが問題となってきました。これについて棄却決定は、「被害者がジェットブルーにブルーブラックを補充した可能性がある」という検察意見書を採用し、「インクは混合されたもので、見た目がブルーブラックでも問題ない。万年筆は被害者のものだ」としてきました。
2016年、証拠開示のたたかいによって、石川さん宅のカモイから発見された万年筆を使って、被害者の兄が数字を書いた調書が開示されました。万年筆の中のインクはすでになくなっていたのでこれまで鑑定できませんでしたが、これによって新たなインクの鑑定が可能となりました。
一方、パイロット社によると、当時被害者が使っていたジェットブルーインクにはクロム元素が含まれるが、ブルーブラックインクには含まれないことが明らかになりました。
そこで下山博士に第2の鑑定を依頼しました。それは蛍光X線分析という方法を用いて、インクの成分を分析するというものです。
ある物質にX線をあてると、その物質に含まれる固有の蛍光X線が発生します。それを利用して、インクに含まれる元素を分析するという鑑定方法です。
2018年8月、「Mini-X非破壊分析装置によるインキ成分の元素分析」という下山第2鑑定が提出されました。
下山博士は、X線発生器を使った非破壊分析装置を使って、検察庁で、①被害者のインク瓶のインク、②事件当日に被害者が学校で書いたペン習字浄書のインク、③発見万年筆で書かれた数字のインクなどに蛍光X線をあてて、その成分を分析しました。
その結果、①と②の被害者のインクからはクロム元素が検出されました。しかし③の発見万年筆で書かれた数字のインクからはクロムは検出されなかったのです。
さらに、下山第2鑑定では、万年筆内のジェットブルーインク(クロムを含む)を文字が書けなくなるまでを使い果たし、その後にブルーブラックインクを補充して鑑定しました。すると、元のジェットブルーインクの残量がどんなに少量でも、クロムが検出されることも確認しました。
これをふまえれば、もし発見万年筆が被害者のもであるならば、書かれた数字のインクにはジェットブルーが混合しているので、クロムが検出されなければなりません。それが検出されないということは、発見万年筆のインクにはジェットブルーはなく、クロムを含まないブルーブラック単体のインクということになります。
いつ、どこで、誰が、どんな方法でインクを補充しようが、補充された混合インクならばクロムが検出されるはずです。それが検出されないのですから、発見万年筆は被害者の万年筆ではないということです。これまで「インクは補充された混合インク」としてきた棄却決定の誤りが完全に証明されました。
裁判所はこれまで「被害者の万年筆が自白通りに石川さんの自宅から発見された」ことは有罪の重要な根拠だとして、再審を棄却してきました。それが覆ったのです。東京高裁は鑑定人尋問を行い、下山鑑定を正当に評価するべきです。
2、検察の「水洗い」説について
検察は下山第2鑑定に対して「反論を提出する」として、2年間も反論の鑑定を試みてきました。しかし下山鑑定の科学的な正しさの前に、それをあきらめざるを得ませんでした。
そして2020年5月に提出した検察意見書で、「インクを補充する際に万年筆を水洗いした可能性がある。元のジェットブルーインクがすっかり洗い流されたので、クロムが検出されなくて当然だ」などと言い出しました。
「万年筆を水洗いした」などというのは、これまで取り調べでも、裁判でも1回も出てきたことはありません。60年目に、何の根拠もなく、まったく新しい空想を持ち出してきたのです。
しかしこの検察意見書を「憶測、空想」といって済ますことはできません。そもそも「インクを補充した可能性」というのも、何の根拠もなく、第1次再審で検察意見書が言い出したものです。その時も弁護団は「根拠のない憶測だ」と批判しました。しかし東京高裁はその補充説を全面的に採用しました。そして今日まで40年間、再審棄却決定で採用され続けているのです。
それを踏まえれば、検察が下山鑑定を否定するために新たに持ち出してきた水洗い説を軽視せず、「東京高裁は検察の水洗い説を採用するな」という声を大きくしていく必要があります。
3、発見された万年筆は証拠のねつ造としか考えられない
万年筆が被害者のものではないことが明らかになったということは、もう一つ重要な意味があります。それは、では石川さん宅内のカモイから発見された万年筆は、誰が何のために置いたものかということです。
外で発見されたのならば、別の人の万年筆を「間違えて」被害者の万年筆としてしまったと言い逃れができるかも知れません。しかし万年筆は石川さん宅内から「自白どおりに発見された」のです。その事実が示すことは、「自白」が誘導されものであり、万年筆は捜査関係者が置いたものということ以外に考えられません。万年筆問題は、捜査機関による証拠のねつ造を明らかにしたのです。
確定判決は、「いやしくも捜査官において重要な証拠収集過程においてその一つについてでも、作為ないし証拠の偽造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件はきわめて疑わしくなってくる」と言っています。
東京高裁は、ただちに再審を開始すべきです。